【文例1】
 組織の方針が明確でないことは、メンバーにとって不安なことだ。また、目標がはっきりしないために、メンバーが創意工夫を忘れることや非効率につながることになってしまう。
  
 
 下線部のような「〜こと」という表現は、ついつい使ってしまいがちです。私自身もそうなんですが、とくにビジネス文書に多く見受けられる気がします。「〜こと」が続くのは、表現したい内容がよく整理されていない証しで、かなり読みづらい文章になってしまいます。別の表現に言い換えられないか考えるべきで、「〜こと」がなくても意味が通じる場合もあります。
 
(添削文)
 「組織の方針が明確でないと、メンバーは不安になる。また、目標がはっきりしないと、メンバーが創意工夫を忘れ、非効率につながってしまう」
  
  
【文例2】
 昔は根性とよく言われてきたけど、最近は昔に比べると科学が進んで、いらない練習などが分かって、必要な練習だけをすればいいようになってきている。
  

(上の文章のおかしなところ)
@「根性」だけでは意味が曖昧(あいまい)。
A「けど」「いらない」は話し言葉なので×。
B「など」は、1例しか挙げない場合には使わない。
C「〜ように」の表現は、前掲の「〜こと」と同じで、文章力が未熟な人がよく使う。
D一つの文が長すぎる。接続詞を使って短く切るべき。
 
(添削文)
 「昔は根性がすべてだとよく言われていたが、最近では昔と比べて科学が進み、不必要な練習が分かってきた。それで必要な練習だけをすればいいという具合になってきている」
 
  
【文例3】
 私はたしかに命の大切さということを軽視しすぎていると思う。
  
 
 この文は、「私は〜と思う」と「(〜が)軽視しすぎている」の複文になっています。ですから主語が二つ必要なのです。
 
(添削文)
 「私はたしかに命の大切さということを多くの人々が軽視しすぎていると思う」
 
  
【文例4】
 このプロジェクトを必ず成功させなければ、今期の業績は必ず赤字になってしまう。たいへん厳しい状況だが、不退転の決意をもって必ず達成してほしい。
  
 
 「必ず」のオンパレードになっていますね。「必ず」を不用意に使い出すと、ほとんどの言葉に「必ず」が必要になってきます。また、「必ず」に限らず、頻繁に言葉を強調する文章は、たいへん読みにくくもなります。もちろん必要な場合は使ってよいのですが、どうしても重なるときは他の言葉に言い換えるべきでしょう。
 
(添削文)
 「このプロジェクトを成功させなければ、今期の業績は赤字になってしまう。たいへん厳しい状況だが、不退転の決意をもって必ず達成してほしい」
 
 「このプロジェクトを絶対に成功させなければ、今期の業績の赤字は必至だ。たいへん厳しい状況だが、不退転の決意をもって必ず達成してほしい」
 
  
【文例5】
 野球はおそらくもっともスポーツの中で多くの能力を要求されるスポーツだと思う。
  
 
 「おそらく」と「もっとも」の修飾・被修飾の関係が分かりにくくなっています。
 
(添削文)
 「野球はおそらくスポーツのなかでもっとも多くの能力を要求されるスポーツだと思う」
 
  
【文例6】
 有能な幹部役員の退職。これは危ない会社の典型的な特徴の一つ。債権者として絶えずチェックしておくべき重要なポイント。担当者としてただ漫然と仕事をこなすだけでは駄目。取引先の動向を常に注視しよう。
  
 
 下線部はいずれも「体言止め」ですが、あまり多く続けると文章のつながりが悪くなってしまいます。せいぜい二つまででしょう。
 
(添削文)
 「有能な幹部役員の退職。これは危ない会社の典型的な特徴の一つであり、債権者として絶えずチェックしておくべき重要なポイントだ。担当者としてただ漫然と仕事をこなすのではなく、常に取引先の動向を常に注視しよう」
 
  
【文例7】
 大変お待たせいたしました。ではただいまから会を始めさせていただきたいと思います。まずは、○○さんのご挨拶をお願いしたいと思います。
  
 
 これは文例というより、いろいろなパーティーや結婚式の披露宴などで、司会者がよく使う表現です。何でもかんでも「思います」をつければ丁寧でへりくだった言い方だと思っているのでしょうが、聞きようによっては弱々しく、場合によっては慇懃無礼にも感じます。
 
 文章も同じでして、「思う」を多用しすぎますと自信のない文章になってしまいます。ほんとうに自信がなくても断定的に書くべきで、もし間違っていたとしても、「思う」と書いてあったからといって読み手は許してはくれません。
 
  
【文例8】
 それでは私のほうから月間計画のほうをを発表させていただきます。お手元のレジュメのほうをご覧ください。
  
 
 これも文例ではなく、話し言葉でよく聞かれる表現です。ふだんの会話ではほとんど出てこないのに、たとえば発表や報告のシーンになると、やたらと「〜のほう」を連発する人がいます。日本語には婉曲的な表現が多いとされ、一部の接頭語のように単なる語呂合わせの言葉もあり、これもその一種かなという気もします。しかし、明らかに不要でむしろ余計な言葉です。【文例7】で指摘しました「思う」と併せて連発しだすと、「大変お待たせしました。ではただいまから会のほうを始めさせていただきたいと思います。まずは○○さんのほうからご挨拶をいただきたいと思います」となって、聞いているだけでいらいらしてきます。
 
  
【文例9】
 社長は、周囲の人間の意見への同化性が強く、それでもって社内の人間関係が複雑化している。もう少し独自性を発揮してほしいものだ。
  
 
 「〜性」「〜化」「〜的」などの表現は意味が曖昧(あいまい)なため、できるだけ使わないのがよいとされます。また、あまり煩雑に使うと文章が硬くなってしまう欠点があります。これは話し言葉にもいえ、とくに女性がやたら「〜的」と言ってしまいますと、とても冷たい印象を受けます。
 
(添削文)
 「社長は、周囲の人間の意見に同化されやすく、それでもって社内の人間関係が複雑になっている。もう少し独自の考えを主張してほしいものだ」
 
  
【文例10】
 私がこの本を読んで感じたことは、自分が思っていたより彼女の性格が暗い人ではなかったということだ。
  
 
 「〜が〜が」を使いすぎて文章が混乱しています。声に出して読んでみると、内容の分かりにくさや読みにくさがはっきりしてきます。「が」という助詞は便利で使いやすいものですが、乱用に注意すべきです。
 
(添削文)
 「私がこの本を読んで感じたのは、思っていたより彼女の性格が暗くなかったということだ」
 
  
【文例11】
 彼女には真の友人がいなく孤独だった。
  
 
 「いなく」という表現は一般には使われません。ここでは「いなくて」「なくて」「なく」などとすべきです。
 
  
【文例12】
 発表を行う前に、根回しを行う必要がある。
  
 
 「〜を行う」という表現を多く使いすぎると、文章が回りくどくなってしまいます。時々使ってリズムを整える程度にしましょう。
 
(添削文)
 「発表の前に、根回しをする必要がある」
 
  
【文例13】
・ときには妻と二人で映画でも観たいものだ。
・親孝行、したい時には親はなし。
  
 
 同じ語句でも、意味によって漢字とかなを使い分けたほうがよい場合があります。文例では「とき」と「時」ですが、ある時点や時期を意味する場合は「時」を、状況や仮定を表す場合は「とき」を使うのがよいとされます。
 
(添削文)
 「時には妻と二人で映画でも観たいものだ」
 「親孝行、したいときには親はなし」
 
   
【文例14】
 けれども、彼のとった態度がまったく理解できない。普通あのような仕打ちを受けたら我慢できないと思う。
  
 
 二番目の文は、一番目の文の根拠を説明するものですが、文末が中途半端で徹底できていません。
 
(添削文)
 「けれど、彼のとった態度がまったく理解できない。普通あのような仕打ちを受けたら我慢できないと思うからだ」
 
  
【文例15】
 このような成功のかげにはなみたいていの努力があったはずだ。
  
  
 語句の用法の誤り。「なみたいていではない努力」が正しい使い方。
   
 
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【文例16】
・部長、あのメモでわかられたでしょうか。
・お口に合いますかどうか、よろしかったらいただいてください。
・やはり社長も存じておられましたか。
・どうしても母にお目にかかっていただきたいのです。
・ぜひ、お知恵をご拝借したいのですが。
  
 
 敬語の誤り。
 
(添削文)
 「部長、あのメモでおわかりになったでしょうか」
 「お口に合いますかどうか、よろしかったらお召し上がりください」
 「やはり社長もご存知でしたか」
 「どうしても母に会っていただきたいのです」
 「ぜひ、お知恵を拝借したいのですが」
 
   
【文例17】
 仕事納めにあたり、専務の音頭によってビールで乾杯した。それに先立ち、社長からねぎらいのお言葉をいただいた。
  
 
 「それ」「これ」「その」などの指示語を使う場合は、どの言葉を受け、どの言葉を指しているかをはっきりさせなくてはなりません。読み手が探さないですむように、指示語の使用はなるべく避け、具体的な言葉を繰り返したり、言い換えるほうがベターです。なくても意味が通じるのであれば省略してもかまいません。
 
(添削文)
 「仕事納めにあたり、専務の音頭によってビールで乾杯した。グラスを空けた後、社長からねぎらいのお言葉をいただいた」
 
 
 
【文例18】
 経済成長著しい「中国の脅威論」が語られるとき、その根拠とされるものはおもに三つあります。第一に安い労働力、第二は広大な国土と世界一の人口、そして第三として国民のハングリー精神です。
  
 
 ある事柄の要件や特徴などを列挙して説明する場合は、書き方を統一しないと、読みにくく落ち着きのない文章になってしまいます。ここでは、「第一に〜、第二に〜、第三に〜」とすべきで、文章が長くなると不統一になりやすいので注意が必要です。
 
  
【文例19】
 ずいぶん前に小学校の通信簿から5段階評価が消えてしまったときは、まあやむを得ないのかなと思っていましたが、最近では運動会の徒競走でも順位をつけないところがあるそうです。学業であれ何であれ、優秀な成績をあげた子どもが正当な評価をされなくて、そうでなかった子どもも何の変哲もないというあり方はどうかと思います。人間はどうあがいたって、それぞれに優劣がつくものです。それは生まれつきの素質による場合もありますが、その人の努力の大小による場合もあります。徒競走は、生まれつきの素質の要素がとくに強いから順序をつけるのはよくない、という発想なのでしょうね。
   
 
 改行のない文章は視覚的にも悪く、とても読みにくくなってしまいます。前の文と内容の違う話になる場合は、文頭を一字下げて改行します。たとえ一行の文章であっても、内容が違うときは改行します。また、同じ内容であっても、長く文章が続く場合は、五、六行目あたりの区切りのよいところで改行します。
 
(添削文)
 「ずいぶん前に小学校の通信簿から5段階評価が消えてしまったときは、まあやむを得ないのかなと思っていましたが、最近では運動会の徒競走でも順位をつけないところがあるそうです。
 学業であれ何であれ、優秀な成績をあげた子どもが正当な評価をされなくて、そうでなかった子どもも何の変哲もないというあり方はどうかと思います。
 人間はどうあがいたって、それぞれに優劣がつくものです。それは生まれつきの素質による場合もありますが、その人の努力の大小による場合もあります。徒競走は、生まれつきの素質の要素がとくに強いから順序をつけるのはよくない、という発想なのでしょうね」
 
 
 
【文例20】
・店に押しかけた主婦たちは、倉庫にあったトイレットペーパーまですべからく買い込んだ。
・昨年の日本経済はどの分野でもすべからく上昇傾向にあった。
   
 
 「すべからく」は、「当然・・・・・・すべきである」とか「当然なすべきこととして」という意味で、多くの場合、当然の意味の助動詞「べし」を伴って、「すべからく・・・・・・べし」という形で用いられます。「不正経理に関与した官僚は、すべからく懲戒免職に処すべきだ」というふうに使います。
 
 1番めの文例は、「すべて」という意味で誤用されている例です。発音が似ていることから起こる間違いです。2番目の文例は、「おしなべて」の意味で誤用されている例です。「おしなべて」とは、「大体の傾向として」という意味です。
 
  
【文例21】
耳ざわりのいい音色。
   
 
 「肌ざわりがいい」「手ざわりがいい」とは言いますが、「耳ざわりがいい」とは言いません。なぜなら、「耳ざわり」は「耳障り」と書き、「肌ざわり」「手ざわり」は「肌触り」「手触り」と書きますから、「さわり」の意味がまったく違うのです。「障り」とは邪魔、差し支えという意味です。同じように「目障り」も「目触りがいい」などとは言いません。
 
  
【文例22】
 不慣れな夜道で足元がおぼつかず、ますます不安な思いがつのった。
   
 
 「おぼつかない」は、「心細く頼りない」「疑わしい」という意味の形容詞で、その語幹は「おぼつかな」です。「おぼつか」が「ない」のではありませんから、文例のように「おぼつかず」とか「おぼつかぬ」とは言いません。
 
 
 
【文例23】
 最近、電車の中で床に座り込むような世間ずれした若者が増えてきた。
  
 
 文例のなかの「世間ずれ」は、「世間にずれている」「常識がない」という意味に使われていますが、「世間ずれ」の「ずれ」は「ずれている」のではなく、「すれている」ことを表しています。つまり、世間を知り尽くして悪賢くなり、世渡り上手になった人のことを「世間ずれした人」というのです。決して誉め言葉ではありませんが、かといって世間に疎いという意味でもありません。
 
  
【文例24】
 前人未到の地に降り立つ。
  
 
 文例のように、まだ誰も足を踏み入れていない土地のことを表す場合、「前人未到」ではなく「人跡未踏」を用います。「前人未到」は、主に学問や研究の分野で、誰もまだそのレベルまで達していないことをいう言葉で、「物理学の分野で前人未到の業績を上げた」というふうに用います。
  
【文例25】
 松井選手の打球は、あわやホームランかという大当たりだった。
  
 
 「あわや」とは、何か好ましくないことが起こる寸前だという状態を表す副詞です。「危うく」と同じような意味です。ですから、文例の場合、守備の側からの発言であれば正しい使い方ですが、攻撃側の発言だとすれば間違った使い方となります。もっとも、最近ではよい場面での用法も広まってきているようです。